男の娘論

どうも、らいとです。以前からTwitterに呟いております「男の娘論」」ですが、ぶっちゃけ140字程度の連続ツイートでは足らないと思い記事にしようと思い立ちました。

 

その際の注意点(予防線)です。

・完全に個人主観です

・「お前がそう思うんならそうなんだろ、お前の中ではな」の精神で読んでください

・個人主観ですので定義などに矛盾や齟齬が生じますが勘弁してください

 

 

では、【男の娘】とは?

 

『男の娘(おとこのこ)とは、男性でありながら娘のような女性にしか見えない容姿と内面を持つ者を指す言葉。服装や化粧を整え女性として生活していることも多い。現在では内面に関係なく、女装行為を行う男性の自称として広い概念で扱われており、女装行為を行う男性自身が名乗るケースも多い言葉となっている。ただし元々、外見が女性に見える事が男の娘とされる為、第三者から見て女子にしか見えないかどうかが重要である。(Wikipedia引用』

 

 

僕が思うのは『第三者から見て女子にしか見えないかどうかが重要である』という点。

 

~以降2次元キャラクターを題材とし話をします~

 

例えば、性的主張の無い全年齢の作品において「女の子にしか見えない男の娘」は女の子です。まぁ、もちろん後々記載致しますが「コンテンツ側の姿勢」が重要です。

 

僕自身「男の娘」は『提唱するコンテンツが男の娘という曖昧なジャンルに配慮してくれているか?(2次元に限る)』という事です。

 

「男の娘」というジャンル上、2面性が大事であると思います。「男の子であり、女の子でもある」この微妙なニュアンスをどう表現、また、どう楽しませるか?がコンテンツ側にとっては重きを置くべきと考えます。

 

僕がいつも議題にあげる「ハッカドール3号」きゅん。可愛いです。

 

彼は公式の提唱する通りだと「男の娘」というジャンルにあたります。しかしながら、昨今「女の子の装いしかしていない」のです。(服装によって性別が決まるわけではありませんが、個人主観の為御容赦ください

 

ここで、大前提が1つ。

受け取り手(楽しむ側)はどう楽しんでも良い。という点です。

 

例えば、大人の話になりますが居酒屋に行こうとお店選びをしているとします。筆者はキリンビールが好きなので、キリンビールの看板が張ってあるお店に行ったとします。

 

「生中一つ」

 

と注文し、「どうぞ」と出されたジョッキにはアサヒビールのマーク、そして、味もアサヒビールであったとします。

 

ここで僕自身の観点から話をするとしますと

・まあ、アサヒビールも美味しいからいいか→〇

・えっ?キリンビールの看板飾ってたよね?文句言うわ→〇

・ジョッキがアサヒビールのジョッキだっただけで、中身はキリンだったけど文句を言った→〇

になると思うのです。これが逆にコンテンツ側(お店側)は

・ビールを出してるから美味しければ良いでしょ?→✕

・キリンの看板付けてるけどアサヒビールを提供→✕

・ジョッキがアサヒビールだけど中身がキリンだから良い→△(ジョッキを切らしていて仕方なく出した可能性)

 

になると思います。

 

元の話に戻りましょう。公式の3号きゅんへの扱いが先程の例え話に凄く似通う点があるのです。

 

コンテンツ側が3号きゅんを「男の娘」であると主張しつつ「女の子の装いしかし無い」。これは、提供側には合ってはならないことです。ましてや、提供側が「かわいいは正義です!」なんて行って大事な部分をおざなりにするなんて以ての外です。

 

凄く噛み砕いた言い方をしますと、「公式の3号きゅんはスカートをたくし上げして黒スパッツからたわわに実るふたつの果実を見せてくれるのか?」ってことなんですよ。

 

大真面目な話、それは出来ないんですよね、残念ながら…。全年齢コンテンツを扱っている以上…。(僕からしてみますと、逆に2号ちゃんの乳袋や、胸の谷間はいいのか?とも思いますが…。それなら、3号きゅんのは見せてくれるのか?と。玉袋と乳袋・谷間の筋と蟻の戸なんちゃら…も変わらんだろと。)

 

要は、そういった所(性主張)で「男の娘」の男成分を主張出来ない以上、「何で表現するか?」と言うと服装しかないんですよ。最初の話を戻しますと【「男の子であり、女の子でもある」この微妙なニュアンスをどう表現、また、どう楽しませるか?がコンテンツ側にとっては重きを置くべき】

 

例えば、成人誌(18禁)であるなら男性器出せば「表現した」ことになるんですよ。たったそれだけの事なんですが、全年齢コンテンツはそれが出来ない以上「どう表現するか?」「どう楽しませるか?」この追求をコンテンツ側がやめてしまった瞬間、「男の娘」は死にます。その微妙なニュアンスは微妙なニュアンスにしかなり得ないので絶対のバランスなんて存在しません。だから、ギリギリのラインを行ったり来たりしなくてはならないのです。しかし、逆に言えばそれだけの「楽しめる振れ幅」があるのです。

 

「男の娘」という定義を明確化させる必要もありません、元々曖昧なモノなので。しかしながら、明確化しないとはいえ、曖昧なモノとはいえコンテンツ側が片一方のベクトルに寄りすぎてるというのは些か疑問に思います。

 

僕が3号きゅんコンテンツのマネジメントをするならあげるイラストの絵は男の子と女の子の装いを五分五分にする、又は片一方のベクトルに寄ったとしても良性の一端は匂わせる、事。これは遵守したいと思います。

 

批判的な意見ですが、公式のやってる事は「男の娘」好きに対しての冒涜です。微妙なニュアンスを片一方のベクトルにしか寄せてない。「男の娘」の良い所を台無しにしています。

 

ハッカドール3号は可愛いです。間違いないです。しかし、彼はもっと可愛くなれます。せっかく「男の娘」というジャンルを背負ってるんだからもっともっと公式には1つの方向性にとらわれず挑戦をして欲しいです。

 

 

長くなりましたが、まだまだ話したいことは尽きません。それくらい「男の娘」は奥深いです。僕自身理解をどんどん深めつつ男の娘を愛でていきたいと思います。

 

 

それでは

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